ハラスメント告発についてのつぶやき


こんにちは。
ここ数ヶ月、気になっていることをひとつ書いてみたいと思います。


最近、セクシュアルハラスメントやパワーハラスメントなどの告発が相次いでいます。

ハラスメントは許されないことです。

勇気を持って公にするべく行動を起こした多くの人たちに、敬意を表します。


セクシュアルハラスメントという言葉とその概念が日本で使われ始めたのは、1980年代です。
パワーハラスメントの場合は、もっと最近のことです。
モラルハラスメントは、1999年です。

それまでは被害にあったとしても、それを「被害」だととらえることはできませんでした。

あの頃からすると、被害だと誰かに伝えることが可能な今は、少し進んだのだと思います。


ただ、最近の風潮は、まるで公開リンチのような印象があります。
そして、スキャンダルとしての扱いです。

そうではなく、働く権利や性的自己決定権や人格権などの、さまざまな権利が侵害されたことに抗議するための概念として、大切に使ってほしいのです。


ハラスメントは、「された側がどう思うか」が大切な要素となります。
ですが、それだけで決まるわけではありません。

誰かが被害だと言えば、それだけでハラスメントだと決まってしまうのなら、それはかなり乱暴な決め方なのではないでしょうか。

被害だと言っている人の話も、加害行為をしたとされた人の話も、どちらも同じように、十分に聞き届けられるべきです。

その人の話を鵜呑みにするということではありません。
おそらく両者の意見は対立するでしょうから、結果的には、どちらかの意見だけが通ることもあると思います。

ですがそれまでは、あくまでもハラスメントの「疑い」です。
まだ、結論は出ていないのです。


また、どちらのプライバシーも、守られるべきだと思います。

片方の言い分だけが公にされ、詳しい事実を知らない人たちが、「ハラスメントをしたに違いない人」としてもう片方を糾弾する、その構図は暴力的に見えます。

ハラスメントだと思ったとき、相手に対して怒りや嫌悪感などを抱くのは当然だと思います。
ですが、だからといって、その人に何をしても許されるというわけではありません。

何があったとしても、誰かに暴力をふるっていい理由などはないのです。


もしかしたら、冤罪もあり得るかもしれません。

最近話題になっているハラスメントが、冤罪だと言いたいわけではありません。
ただ、常にその可能性も忘れてはいけないのだと思います。


ハラスメントという概念ができた最初の頃は、それまでがまんし続けてきた人たちが、恐る恐る被害について語り始めたのだと思います。

ですが、この概念が広まってくると、これらの言葉の持つ力さえも、悪用しようとする動きが出てきたように思います。

物も言葉も、それを悪用しようとするとできてしまいます。

本来は料理に使うはずの包丁も、人を傷つける凶器にしてしまえます。
本来は権利侵害に抗議するための言葉が、逆に誰かへの権利侵害をするものとして、使えてしまうのです。


ぜひ、ハラスメントという言葉を悪用することなく、権利侵害に抗議するための言葉として、正当に、大切に使っていってください。

そして、調査が終って結論が出るまでは、「きっとハラスメントに違いない!」または逆に「きっと冤罪だ!」と早急に決めてしまうのではなく、どちらも同じ重さとしてあり得るという位置に留まる強さを、発揮してほしいと思います。

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