二次加害についてのつぶやき


こんにちは。

今回も、最近気になっていることをひとつ。


セクシュアルハラスメントや性被害についての報道が続いています。

そして、それを受けてのマスメディアやネットなどで見聞きする発言が、かなりの二次加害になっているように思うのです。

もちろん良心的な発言もありますし、二次加害の言葉に対して、疑問視する発言もあります。
それでも、被害者に対するさらなる攻撃となる発言が、後を絶ちません。


前回も書いたように、何があったとしても、誰かに暴力をふるっていい理由などはないのです。

「被害者に落ち度があるから、ハラスメントや暴力をふるわれても仕方がない」という、加害者の行為をかばうかのような考え方は、もうやめませんか。


特に、セクシュアルハラスメントや性暴力においては、ことさら被害者の落ち度(と思えるようなこと)をあれこれ言われてしまうことが多いように思います。

ですが、たとえば道を歩いていて強盗にあった人に対して、
「この世の中に強盗がいるなんて、分かっていることでしょ。どうして道を歩いていたの?」
とは言わないと思います。

「『金を出せ!』と言われて、どうして簡単にお金を渡したの?あなたがうまくかわせばいいことでしょ?」
とも言わないと思います。

それと同じように、暴力やハラスメントの場合、起きたことの責任は加害行為を仕掛けた方にあるという立場を、しっかり守ってください。


暴力やハラスメントは、自分と相手との差を悪用し、相手を自分の思い通りにしようとするものです。
差があることが悪いのではなく、その差を悪用する加害者側に、やはり責任があるのです。

力の強い側、しかもその差を悪用した側をより守ってしまうような、そのような考え方はやめましょう。


後から考えると、被害者側の自衛の方法を何か思いつくかもしれません。

「自衛してはいけない」と言いたいわけではないので、今後、自分のとる言動の選択肢を広げたり狭めたり、何かに気をつけたりすることが必要だと思えば、そうしていくのは大切なことです。

ですが、そのことと、今回被害にあったこととは分けて考えてほしいと思います。


被害にあう前や、被害中の被害者の言動を責めることは、二次加害です。

被害にあった後、それを公にするかしないか、するとしたらどこに、どのような方法で訴えていくのかなどは、被害にあった人の選択であり、その人の責任です。

その選択が暴力的なものであった場合、その訴え方については、先の被害とは別に、今度は新たな加害行為として、その責任を負うこともあるでしょう。

そのときは、最初に起きた暴力やハラスメントとは別の事案として、2つを別々に考えていってください。


暴力やハラスメントについては、「どっちもどっち」という考え方は成り立たないと思います。

被害者の落ち度のせいにするのではなく、また、被害者の新たな加害行為で相殺するのではなく、別々の事案として考えてもらえればと思います。


また、「酒やストレスのせい」として、加害行為を軽く見ることもやめてほしいと思います。

何があったとしても、暴力やハラスメントは許されません。

もし、酔ったときに暴力をふるってしまうのなら、その人は酒をやめるべきです。
ストレスが多いときに暴力をふるってしまうのなら、ストレスを軽減することを考えてください。

ですがこれも、暴力やハラスメントの責任とは別に、その人の持つ問題を考えていってほしいと思います。


二次加害としては、「これくらいのことで」と、被害者が訴えたことを非難する発言も見られます。

ですが、自分とその人とは、経験も考え方も立場も、何もかも違うのです。

自分には「これくらいのこと」が、その当事者には「こんなひどいこと」かもしれません。
受けとめ方はさまざまで、どちらかだけが正解というわけではありません。

だからこそ、セクシュアルハラスメントなどを考えるとき、「された側がどう思うか」が大切な要素になるのです。


自分だけを基準に考えてしまうと、「自分とは違うその人はおかしい!」という、二次加害的な考え方をしてしまいます。

また、もしかしたら公にされていること以外にも、何かが起きていたのかもしれません。

それが何なのかを一方的に詮索することも、また二次加害につながります。
勝手な推測は控えましょう。


暴力やハラスメントが起きたとき、それは被害者に、現実にそのことが起きたのです。

その重みをしっかりと受けとめ、まわりが新たな加害を引き起こすことのないようにしてほしいと思います。

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